翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『論語注疏』学而篇第四章

今回は学而篇第四章を扱う。

*太字は『論語』本文で、細字が注疏である。

<原文>

<訓読>
曾子曰く
<現代語訳>
曾子が言うには、
 
<原文>
馬曰弟子曾参
<訓読>
馬曰く弟子の曾参なり
<現代語訳>
馬融の言葉によると弟子の曾参のことである。
 
<原文>
吾日三省吾身
<訓読>
吾日に吾が身を三省す。
<現代語訳>
自分は一日に三度自らの行いを反省する。
 
<原文>
為人謀而不忠
<訓読>
人の為に謀りて忠ならざるか。
<現代語訳>
人の為に行動して忠に背く所がなかったか。
 
<原文>
與朋友交而不信乎
<訓読>
朋友と交わりて信ならざるか
<現代語訳>
朋友と交流して信に背く所がなかったか。
 
<原文>
傳不習乎
<訓読>
傳ふるに習わざるをか。と。
<現代語訳>
人に物事を伝えるのに、未だ自分が習得していないことを以てしなかったか。」と。
 
<原文>
言凡所傳之事得無素不講習而
<訓読>
言ふこころは、凡そ傳ふる所の事は、素より講習せざるをして之を傳ふる無きを得たるか。
<現代語訳>
言うこころは、物事を伝えるとは、自らが未だ講習していないことを他人に伝えることが無い事を指す。
 
<原文>
曾子曰至習乎
<訓読>
曾子曰くから習に至るまで
<現代語訳>
曾子曰くから習に至るまで
 
<原文>
正義曰此章論曾子省身慎行之事
<訓読>
正義に曰く、此の章、曾子身を省みて行いを慎むの事を論ず。
<現代語訳>
此の章は、曾子が自分のことを省みて、行いを慎むことを論じている。
 
<原文>
弟子曾参嘗曰吾毎日三自省察己身
<訓読>
弟子の曾参嘗て曰く吾毎日三たび自ら己の身を省察す。
<現代語訳>
孔子の弟子曾参は嘗て「私は一日に三度自らを省みる。
 
<原文>
為人謀事而得無不盡忠心乎
<訓読>
人の為に事を謀りて忠心を盡さざる無きを得たるか。
<現代語訳>
他人のために事を為そうとして、忠心を尽くさないことは無かったか。
 
<原文>
與朋友結交而得無不誠信乎
<訓読>
朋友と交わりを結びて、誠信ならざる無きを得たるか。
<現代語訳>
朋友と交わり親しむに及んで誠実を尽くさない事はなかったか。
 
<原文>
凡所傳授之事得無素不講習而妄傳乎
<訓読>
凡そ傳授する所の事、素より講習せずして妄りに傳ふる無きを得たるか。
<現代語訳>
他人に教え伝える事で、未だ自分が修め切っていないうちに教授することはなかったか。
 
<原文>
以謀貴盡忠朋友主信傳悪穿鑿故曾子省慎之
<訓読>
謀には忠を盡すを貴び、朋友には信を主とし、傳ふるには穿鑿を悪むを以て、故に曾子省みて之を慎む。」と。
<現代語訳>
人の為の行いでは忠の心を尽くす事を尊び、朋友と交わるのに信の心を大事とし、人と交わるのに憶測を以てすることを憎む。其故曾参は自分の身を省みて行いを慎むのである。」と。
 
<原文>
注馬曰弟子曾参
<訓読>
注に馬曰く弟子の曾参なり。と。
<現代語訳>
注に馬曰く弟子の曾参なり。と。
 
<原文>
正義曰史記弟子傳云曾参南武城人字子輿
<訓読>
正義に曰く、史記弟子傳に云ふ、曾参は南武城の人にして字は子輿。
<現代語訳>
論語正義』によると、史記孔子弟子列伝に「曾参は南武城の出身で字は子輿。
 
<原文>
孔子四十六歳
<訓読>
孔子より四十六歳少し。
<現代語訳>
孔子よりも四十六歳年少であった。
 
<原文>
孔子以為能通孝道故授之業作孝経
<訓読>
孔子は以て、能く孝道に通ずと為し、故に之に業を授け、孝経を作らしむ。
<現代語訳>
孔子は曾参のことを孝道に通じた人物であると評した。そのため、孔子は曾参に學問を教授し『孝経』を制作させたのである
 
<原文>
死於魯
<訓読>
魯に死す。と
<現代語訳>
魯国にて死んだ。」とある。

『論語注疏』学而篇第三章「子曰巧言令色鮮矣仁」

今回は学而篇の第三章を扱う。

 

<原文>

子曰巧言令色鮮矣仁
<訓読>
子曰く、巧言令色鮮ないかな、仁。
<現代語訳>
孔子先生が言うに「仁者と呼ばれる人に、言葉を巧みにして人に取り入り、自分の顔色を良くして相手を喜ばす者は少ないものだ。」
 
<原文>
包曰巧言好其言語令色善其顔色
<訓読>
包曰く、巧言は其の言語を好くし、令色は其の顔色を善くす。
<現代語訳>
包咸が言うには「「巧言」というのは言葉を曲げて語ることを好むことを指し、「令色」というのは自分の思いと裏腹に自らの顔色を良くすることを指す。
 
<原文>
皆欲令人説
<訓読>
皆人をして説ばしめんと欲す。
<現代語訳>
相手のことを喜ばせようと欲するのである。
 
<原文>
之少能有仁也
<訓読>
之能く仁有ること少なきなり。
<現代語訳>
こういった行いに「仁」が表れることは少ない。」と。
 
<原文>
疏 子曰巧言令色鮮矣仁
 
<原文>
正義曰此章論仁者必直言正色
<訓読>
正義に曰く、此の章仁者は必ず言を直くして、色を正すことを論ず。
<現代語訳>
論語正義』に「此の章は、仁者は必ず言葉に邪な意思が無いようにして、自らの顔色を真に正しくするものであることを論じている。
 
<原文>

其若巧好其言語令善其顔色欲令人説愛之者少能有仁也

<訓読>

其れ其の言語を巧好にし、其の顔色を令善にし、人をして之を説愛させしめんと欲するが若き者は、能く仁有ること少なきなり。

<現代語訳>

巧みに言葉を用い、自分の顔色を相手の好むように善くすることで、人を喜ばせようとするような者が、「仁」という性を帯びていることは少ないものだ。」とある。

 

<補説>

本章で論じられる言葉を巧みにし、腹の立った顔をせずに、相手を喜ばせる人物は一見すると好印象の持てる人物であるが、根本先生はこれを「善と云ふものの偽物である。」と喝破しておられる。真に仁者たる者は腹蔵するものなく人に接する。故に言葉や顔色を取り繕う必要がないのである。

 

『論語注疏』学而篇「有子曰〜」

今回は学而篇第二章の全文を掲載する。

<原文>

有子曰
<訓読>
有子曰く
<現代語訳>
有子が言うには
 
<原文>
孔子弟子有若
<訓読>
孔子の弟子有若なり。
<現代語訳>
孔子の弟子の有若である
 
<原文>
其為人也孝弟而好犯上者鮮矣
<訓読>
其の人と為りや、孝弟にして上を犯すことを好む者鮮なし。
<現代語訳>
其の人性が孝弟であって自分より目上の人間に逆らうことを好む者は少ない。
 
<原文>
鮮少也上謂凡在己上者
<訓読>
鮮は少なり。上は凡そ己の上に在る者を謂ふ。
<現代語訳>
鮮は少である。上とは自分より目上に位置する者を指す。
 
<原文>
言孝弟之人必恭順好欲犯其上者少也
<訓読>
言ふこころは孝弟の人は必ず恭順にして、其の上を犯さんと欲するを好む者は少なきなり。
<現代語訳>
言うこころは孝弟である者の性は恭順であって、それでいて目上の人間に逆らうことを好む者は少ない、ということである。
 
<原文>
不好犯上而好作乱者未之有也
<訓読>
上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は未だ之有らざるなり。
<現代語訳>
目上の人間に逆らうことを好まないで、和を乱すことを好む者は未だ世に居たことがない。
 
<原文>
君子務本本立而道生
<訓読>
君子は本に務め、本立ちて道生ず。
<現代語訳>
君子は物事の根幹に務め、物事の根幹がしっかり確立されて初めて道が身に付くのである。
 
<原文>
本基也基立而後可大成
<訓読>
本は基なり。基立ちて而る後に大成すべし。
<現代語訳>
本は基盤である。基盤が確立されて後に大成するのである。
 
<原文>
孝弟也者其為仁之本
<訓読>
孝弟なる者、其れ仁の本為るか。と。
<現代語訳>
孝弟ということは、仁の根幹である。」と。
 
<原文>
先能事父兄然後仁道可大成
<訓読>
先んじて能く父兄に事へ、然る後に仁道大成すべし。
<現代語訳>
まず父兄に孝弟を尽くしよく仕えて、その後に仁道が大成されるのである。
 
<原文>
疏 有子曰至本與
<訓読>
有子曰より本與に至るまで。
<現代語訳>
有子曰から本與に至るまで。
 
<原文>
正義曰此章言孝弟之行也
<訓読>
正義に曰く「此の章は孝弟の行ひを言ふなり。
<現代語訳>
論語正義』によると「此の章は孝弟を行うことを述べている。
 
<原文>
弟子有若曰其為人也孝於父母順於兄長而好陵犯凡在己上者少矣
<訓読>
弟子の有若曰く「其の人と為りや、父母に孝に、兄長に順にして、凡そ己の上に在る者を陵犯するを好むは少なし。」と。
<現代語訳>
孔子の弟子の有若が言うには「孝弟である人物の性は、父母に孝を尽くし、年長者に対して従順であり、そうであるから自分より目上に位置する者を侮ることを好む者は少ない。」と。
 
<原文>
言孝弟之人性必恭順
<訓読>
言ふこころは孝弟の人の性は必ず恭順なり。
<現代語訳>
言うこころは孝弟である人の性格は必ず恭順である。
 
<原文>
故好欲犯其上者少也
<訓読>
故に其の上を犯さんと欲するを好む者は少なきなり。
<現代語訳>
故に目上の人間に逆らうことを好む者は少ないのである。
 
<原文>
既不好犯上而好欲作乱為悖逆之行者必無
<訓読>
既に上を犯すを好まずして、乱を作し悖逆の行いを為さんと欲するを好む者は必ずや無かるべし。
<現代語訳>
目上の人間に逆らうことを好まずして、和を乱して人倫に悖る行いを為すことを好む者は必ず存在しないものである。
 
<原文>
故云未之有也
<訓読>
故に「未だ之有らざるなり」と云ふ。」と。
<現代語訳>
故に「未だ之有らざるなり。」と言うのである。」とある。
 
<原文>
故君子務脩孝弟以為道之基本
<訓読>
故に君子は孝弟を以て道の基本を為すを脩むるに務む。
<現代語訳>
故に君子は孝弟を大切にして道の基本を脩めることに務める。
 
<原文>
基本既立而後道徳生焉
<訓読>
基本既に立ちて而る後に道徳生ず。
<現代語訳>
基本が完成して、その後に道徳が身につくのである。
 
<原文>
恐人未知其本何謂故又言孝弟也者其為仁之本歟
<訓読>
人の未だ其の本の何の謂ひかを知らざるを恐れ、故に又「孝弟なる者其れ仁の本為るか。」と言ふ。
 <現代語訳>
道の本というものが何を指し示しているかを知られないことを恐れて、故に「孝弟なる者其れ仁の本為るか。」と述べているのである。
 
<原文>
禮尚謙退不敢質言故云與也
<訓読>
禮は謙退を尚べば、敢へて質言せず。故に「與」と云ふなり。
<現代語訳>
禮は控えめであることを尚ぶので、敢えて明言しないのである。故に「與」と云うのである。
 
<原文>
孔子弟子有若
<訓読>
注に孔子の弟子の有若なりと。
<現代語訳>
注に孔子の弟子の有若のことである、とある。
 
<原文>
正義曰史記弟子傳云有若少孔子四十三歳鄭玄曰魯人
<訓読>
正義に曰く「『史記』弟子傳に云ふ「有若は孔子より四十三歳少し。」と。鄭玄曰く「魯人なり。」と。」と。
<現代語訳>
論語正義』によると「『史記』仲尼弟子列伝に「有若は孔子より四十三歳年少である。」とあり、鄭玄は「魯の人である。」と述べている。」である。
 
<原文>
注鮮少也
<訓読>
注に鮮は少なり、と。
<現代語訳>
注に鮮は少である、とある。
 
<原文>
正義曰釋詁云鮮罕也
<訓読>
正義に曰く「釋詁に云ふ「鮮は罕なり。」と。
<現代語訳>
論語正義』によると「『爾雅』釋詁篇に「鮮は罕である。」とある。
 
<原文>
故得為少
<訓読>
故に少と為し得たり。
<現代語訳>
故に少と読むことができたのである。
 
<原文>
皇氏熊氏以為上謂君親犯謂犯顔諫争
<訓読>
皇氏・熊氏に以為へらく、上は君親を謂ひ、犯は顔を犯して諫争すを謂ふ。」と。
<現代語訳>
礼記』皇氏篇・熊氏篇に「上とは君親のことを言い、犯は顔色を犯してでも強く諫めることである。」とある。
 
<原文>
今案注云上謂凡在己上者則皇氏熊氏違背注意其義恐非也
<訓読>

今案ずるに、注に「上は凡そ己の上に在る者を謂ふ。」と云へば、則ち皇氏・熊氏は注の意に違背す。其の義は恐らく非ならん。

<現代語訳>

注に「上は自分よりも目上の人間のことを言う。」とあるのを鑑みると、皇氏・熊氏の説は注の意味するところと違う。両氏の言う所はおそらく間違っている。
 
<補説>
何晏の注では「上」は「己の上に在る者」である。対して注疏が引く皇氏・熊氏の注では「君親を謂ひ」とありその後の文脈と合わせて読んでも、社会的地位が自分より上の人間という解釈になると思われる。注疏そのものは皇氏・熊氏の解釈を誤りとして何晏の注を採用しているが、では「己の上に在る者」とは具体的にどの様な人物を指すのだろうか。訳文としては単に「目上の人物」と書いたが、学而篇は学問について多く記す篇である。であるならば、ここで言う「己の上に在る者」は自分の師匠や高弟をも指すのではないだろうか。勿論君親も含むだろうが、それに止まらず同門に於ける上下関係をも含意しているのではないかと思う。
「犯」の解釈であるが、根本先生は古来君を諫めるにはその機嫌を取り、穏やかに諫めることが臣下の道であるとし、顔ばせを犯して強く諫めるは後世の人間が誇りとしたことであるとしている。*詳しくは知らぬが、墨家に近しい色を感じる。
又簡野先生はこの章を論じて、治国の本が教育にあり、教育の本は人をして仁徳を修めしむることにあり、而して仁徳の本は孝弟を務むることである。としている。

『論語注疏』学而篇「注包曰同門曰朋〜」④

<原文>

注包曰同門曰朋
<訓読>
注に包曰く「同門を朋と曰ふ」と。
<現代語訳>
注に「包咸が言うには「同門を朋という」。」とある。
 
<原文>
正義曰鄭玄注大司徒云同師曰朋同志曰友
<訓読>
正義に曰く「鄭玄、大司徒に注して「同師を朋と曰ふ。同志を友と曰ふ。」と云ふ。」と。
<現代語訳>
論語正義』に言う「鄭玄が『周礼』大司徒篇に注釈を付けて「師を同じくする者を朋といい、志を同じくする者を友という。」と述べている。」と。
 
<原文>
然則同門者同在師門以授學者也
<訓読>
然らば則ち同門は同じく師門に在りて以て學を授くる者なり。
<現代語訳>
そうであるならば「同門」とは同じ師の門下にあって學問を授かる者をいう。
 
<原文>
朋即羣黨之謂
<訓読>
朋は即ち羣黨の謂ひなり。
<現代語訳>
「朋」とは仲間のことを言う。
 
<原文>
故子夏曰吾離羣而索居
<訓読>
故に子夏曰く「吾羣を離れて索居す。」と。
<現代語訳>
故に子夏が「自分は仲間と離れて一人寂しく暮らしている。」と述べている。
 
<原文>
鄭玄注云羣謂同門朋友也
<訓読>
鄭玄注して云ふ「羣は同門の朋友を謂ふなり。」と。
<現代語訳>
それに対して鄭玄が注して「羣とは同門の朋友のことである。」と言っている。
 
<原文>
此言有朋自遠方来者即學記云三年視敬業楽羣也
<訓読>
此こに「有朋自遠方来」と言うは、即ち學記に「三年業を敬しみ、羣を楽しむを視るなり。」と云ふことなり。
<現代語訳>
ここに「朋有り遠方自り来たる。」と言っているのは、『礼記』學記篇に「三年間、学問を敬しんで行い、朋友とそれを楽しむ様が見られること。」とあることと同じである。
 
<原文>
同志謂同其心意所趣郷也
<訓読>
同志は其の心意の趣郷を同じくする謂ひなり。
<現代語訳>
「同志」とは心に抱く想いを同じくする者のことを言うのである。
 
<原文>
朋疏而友親
<訓読>
朋は疏にして友は親し。
<現代語訳>
朋は助け合う存在で、友は親しい存在である。
*疏の解釈に自信が無いです。
 
<原文>
朋来既楽友即可知
<訓読>
朋來りて既に楽しければ、即ち友は知るべし。
<現代語訳>
朋が来て既に楽しんでいるならば、友は言うまでもなく推し量れるものである。
 
<原文>
故略不言也
<訓読>
故に略して言はざるなり。
<現代語訳>
故に友は省略して言及していないのである。
 
<原文>
注慍怒至不
<訓読>
注の慍怒より不怒に至るまで。
<現代語訳>
注の「慍怒」から「不怒」まで。
 
<原文>
正義曰云凡人有所不知君子不怒者其説有二
<訓読>
正義に曰く「凡人の知らざる所有るも君子は怒らず、と云ふは其の説に二有り。
<現代語訳>
論語正義』に言うには「「凡人が自分のことを知ってくれなくとも、君子は怒らない」の解釈は二通りある。
 
<原文>
一云古之學者為己已得先王之道含章内映而他人不見不知而我不怒也
<訓読>
一に云ふ「古の學者は己の為にし、已に先王の道を得れば、章を含み内に映じて、他人に見ず知られざるも、我は怒らざるなり。」と。
<現代語訳>
一つは「古の学者は己の為に学問をし、人に自分を知ってもらう為にしたわけではなかった。その為、已に先王の道を得ていれば、内面に綾を身につけそれが反映されているので、他人が見てくれず知ってくれずとも、気にすることなく、したがって怒ることがないのである。」である。
 
<原文>
一云君子易事不求備於一人故為教誨之道若有人鈍根不能知解者君子恕之而不慍怒也
<訓読>
一に云ふ「君子は事え易く備はるを一人に求めず。故に教誨を為すの道、若し人鈍根にして知解すること能はざる者有らば、君子は之を恕して慍怒せざるなり。」と。」。
<現代語訳>
もう一つは「君子は仕え易く、徳が一人に備わっていること(完璧な人間)を求めない。その為教化をなす道がもし、教えた相手が愚鈍にして理解することができない者であるならば、君子はこれを恕して、恨み怒らないのである。」である。
 
<補説>
学而篇第一章についての注疏はこれで終わりである。
 

『論語注疏』学而篇「云時者學者以時誦習之〜』③

<原文>

云時者學者以時誦習之者皇氏以為凡學有三時
<訓読>
「時は學ぶ者時を以て之を誦習す」とは、皇氏以為く凡そ學ぶに三時有り、と。
<現代語訳>
「時は學ぶ者時を以て之を誦習す」とは皇氏によると「およそ学問をするに三つの時がある。」と。
 
<原文>
一身仲時
<訓読>
一は身中の時なり。
<現代語訳>
一の時は身中の時である。
 
<原文>
學記云發然後禁則扞格而不勝
<訓読>
學記に「發して然る後に禁ずれば、則ち扞格して勝へず。
<現代語訳>
礼記』學記篇によると「發して然る後に禁ずれば、則ち扞格して勝へず。
*下線部の意味取れず
 
<原文>
時過然後學則勧苦而難成
<訓読>
時過ぎて、然る後に學ばば、則ち勧苦して成し難し。」と云ふ。
<現代語訳>
時が経ってその後に学べば、勤めても成功しがたい。」と、言っている。
 
<原文>
故内則云十年出就外傳居宿於外學書計
<訓読>
故に内則に「十年出でて外傳に就き、外に居宿し、書計を學ぶ。
<現代語訳>
そのため『礼記』内則篇に「十年家の外に出て、外傳に就き、外部に居し、書と計算を学ぶ。
 
<原文>
十有三年學楽誦詩舞
<訓読>
十有三年、楽を學び詩を誦し勺を舞ふ。
<現代語訳>
十三年経って楽を学び詩を唱え勺を舞う。
 
<原文>
十五成童舞象是也
<訓読>
十五、成童にして象を舞ふ。」と云ふは是なり。
<現代語訳>
十五にして成人して象を舞う。」とあるのはこのことである。
 
<原文>
二年中時
<訓読>
二は年中の時なり。
<現代語訳>
二の時は年中の時である。
 
<原文>
王制云春秋教以禮楽冬夏教以詩書
<訓読>
王制に「春秋は教ふるに禮楽を以てし、冬夏は教ふるに詩書を以てす。」と云ふ。
<現代語訳>
礼記』王制篇に「春・秋は教えるのに禮・楽を、冬・夏は教えるのに詩・書を以てする。」とある。
 
<原文>
鄭玄云春夏陽也詩楽者聲聲亦陽也
<訓読>
鄭玄は「春夏は陽なり。詩楽は聲、聲も亦陽なり。
<現代語訳>
鄭玄はこれに対して「春・夏は陽の気である。詩・楽は聲であり、聲は亦陽の気である。
 
<原文>
秋冬陰也書禮者事事亦陰也
<訓読>
秋冬は陰なり。書禮は事、事も亦陰なり。
<現代語訳>
秋・冬は隠の気である。書・禮は事であり、事は亦陰の気である。
 
<原文>
互言之者皆以其術相成
<訓読>
之を互言するは皆其の術を以て相成すなり。」と云ふ。
<現代語訳>
これを交互に言ってあるのは、皆陰陽の術を以て物事を成しているからである。」と言っている。
 
<原文>
又文王世子云春誦夏弦秋學禮冬読書
<訓読>
又文王世子に「春は誦し、夏は弦し、秋は禮を學び、冬は書を読む」と云ふに、
<現代語訳>
また『礼記』文王世子篇に「春は誦して、夏は弦を弾き、秋は禮を学び、冬は書を読む。」とあり、
 
<原文>
鄭玄云誦謂歌楽也
<訓読>
鄭玄「誦するは歌楽を謂ふなり。
<現代語訳>
これに対して鄭玄は「誦とは歌楽を言っている。
 
<原文>
弦謂以絲播詩
<訓読>
弦するは絲を以て詩を播するを謂ふなり。
<現代語訳>
弦とは絲を弾いて詩を広めることを言う。
 
<原文>
陽用事則學之以聲陰用事則學之以事
<訓読>
陽事を用ふれば、則ち之を學ぶに聲を以てし、陰事を用ふれば、則ち之を學ぶに事を以てす。
<現代語訳>
陽の気を用いれば、学問するのに聲を以てし、陰の気を用いれば、学問するのに事を以てする。
*事が具体的に何を指すのかわからず
 
<原文>
因時順気於功易也
 <訓読>
時に因りて気に順ふは、功に於いて成し易きなり。」と云ふ。
<現代語訳>
時に応じて気に順うのは、成すべき事として易しいことである。と述べている。
 
<原文>
三日中時
<訓読>
三は日中の時なり。
<現代語訳>
三は日中の時である。
 
<原文>
學記云故君子之於學也蔵焉脩焉息焉遊焉是日日所習也
<訓読>
學記に「故に君子の學に於けるや、焉に蔵し、焉に脩め、焉に息ひ、焉に遊ぶ」と云ふは、是日日に習ふ所なり。
<現代語訳>
礼記』学記篇に「故に君子が学問というのは、書を所蔵し、その中身を脩め、休息をとり、十分に遊ぶことである。」と言うのは、是日々に習うことである。
 
<原文>
言學者以此時誦習所學篇簡之文及禮楽之容日知其所亡月無忘其所能所以為説懌也
<訓読>
言ふこころは學ぶ者は此の時を以て學ぶ所の篇簡の文、及び禮楽の容を誦習し、日に其の亡き所を知り、月に其の能くする所忘るる無きは説懌と為す所以なり。
<現代語訳>
言うこころは、学ぶ者がこの三つの時を以て、学ぶ所の書物の文章及び禮楽の有り様を唱え学習し、日々の生活にその至らない所を見出し、月ごとに能くするように努力することを忘れないのは、喜ばしい理由である。
 
<原文>
譙周云説深而楽浅也
<訓読>
譙周云ふ「悦は深くして楽は浅きなり。」と。
<現代語訳>
譙周が言うには「悦はその度合いが深く楽は浅い。」と。
 
<原文>
一日在内曰説在外曰楽
<訓読>
一に曰く「内に在るを説と曰ひ、外に在るを楽と曰ふ。」と。
<現代語訳>
一本によると「感情が内に留まっているのを「説」と言い、外に現れているのを「楽」と言う。」という。
 
<原文>
亦者凡外境適心則人心説楽
<訓読>
「亦」と言ふは凡そ外境心に適へば、則ち人心説楽す。
<現代語訳>
「亦」というのは、およそ外の世界が自らの心に適えば、人の心は説楽するものである。
 
<原文>
可説可楽之事其類非一
<訓読>
説ぶべく、楽しむべくのこと、其の類は一に非ず。
<現代語訳>
悦ばしいこと、楽しいことの類いは一種類ではない。
 
<原文>
此學而時習有朋自遠方来亦説楽之事耳
<訓読>
此の「學而時習」「有朋自遠方来」も亦説楽の事なるのみ。
<現代語訳>
この「學而時習」「有朋自遠方来」も亦悦楽の一種である。
 
<原文>
故云亦
<訓読>
故に「亦」と云ふ。
<現代語訳>
故に「亦」と言うのである。
 
<原文>
猶易云亦可醜也亦可喜也
<訓読>
猶ほ易に「亦恥ずべきなり」「亦喜ぶべきなり」と云ふがごとし。
<現代語訳>

猶、『易経』に「亦恥ずかしいことである。」「亦喜ばしいことである。」という如きである。

 

『論語注疏』学而篇「注馬曰子者至説懌〜」②

今回は前回の続きで学而篇第一章の残りの注釈部分である。「子」についての解釈を扱う。

 

<原文>

注馬曰子者至説懌
<訓読>
注の馬曰子者から説懌に至るまで。
<現代語訳>
注の馬曰子者から説懌に至るまで。
 
<原文>
正義曰云子者男子之通稱者経傳凡敵者相謂皆言吾子或直言子稱師亦曰子是子者男子有徳之通稱也
<訓読>
正義に曰く「子は男子の通稱なり」と云ふは、経・傳にて凡そ敵する者は相謂ひて皆「吾子」と言ひ、或いは直だ「子」と言ひ、「師」を稱するも亦「子」と曰へば、是「子」は男子有徳の通稱なり。
<現代語訳>
論語正義』に「「子」は男子の通称である。」と言うのは、経書やその注釈書においておよそ同門の者は皆「吾子」と言い、或いはただ「子」と言い、師を称する者にもまた「子」と言うので、「子」は男子の有徳者の通称となったのである。
*「敵」の解釈は自信無し。
 
<原文>
云謂孔子者嫌為他師故辨之
<訓読>
孔子を謂ふ」と云ふときは、他師為るに嫌はし、故に之を辨ず。
<現代語訳>
孔子を謂ふ」と言う時は他の師と混同している可能性があるので、これを論じるのである。
 
<原文>
公羊傳曰子沈子曰何休云沈子稱子冠氏上者著其為師也
<訓読>
公羊傳に「子沈子曰」と曰ひ、何休は「沈子に「子」と稱し、氏の上に冠するは其の師たるを著すなり。
<現代語訳>
公羊傳に「子沈子曰く」とあり、何休は「沈子が「子」と称し、その氏の上に「子」を冠するは人の師であることを示すためである。
 
<原文>
不但言子曰者辟孔子
<訓読>
但だに「子曰」とのみ言わざるは、孔子を辟すればなり。
<現代語訳>
単に「子曰く」とだけ言わないのは孔子と混同するのを避けるためである。
 
<原文>
其不冠子者他師也
<訓読>
其の「子」を冠せざるは他師なり。
<現代語訳>
その「子」を冠さない者は儒家ではない、他家の師である。」と言っている。
 
<原文>
然則書傳直言子曰者皆指孔子
<訓読>
然らば則ち書傳に直だ「子曰」と言ふものは皆孔子を指す。
<現代語訳>
そうであるならば、文献にただ「子曰く」とのみある人物は全て孔子を指しているのである。
 
<原文>
其聖徳著聞師範来世不須言其氏人盡知之故也
<訓読>
其の聖徳の著聞にして、来世に師範なれば、其の氏を言ふを須ひざるも、人盡く之を知る故なり。
<現代語訳>
その聖徳の広く知れ渡っていること、死後も人々に慕われる人物であるので、その氏をわざわざ言わなくとも、人は皆孔子であることを知る為である。
 
<原文>
若其他傳受師説後人稱其先師之言則以子冠氏上所以明其為師也
<訓読>
其の他の師説を傳受せられ後人其の先師の言を稱するが若きは、則ち「子」を以て氏の上に冠し、其の師為るを明らかにする所以なり。
<現代語訳>
その他の師の説を受け継ぎ、後人がその先師の言を持ち出す時に、「子」を氏の上に冠するのは、その人物が師であることを明らかにする為である。
 
<原文>
子公羊子子沈子之類是也
<訓読>
「子公羊子」・「子沈子」の類は是なり。
<現代語訳>
「子公羊子」「子沈子」の類はこの例である。
 
<原文>
若非己師而稱他有徳者則不以子冠氏上直言某子
<訓読>
己の師に非ずして他の有徳者を稱するが若きは、則ち「子」を以て氏の上に冠するをせず、直だ「某子」とのみ言ふ。
<現代語訳>
自分の師ではない他の有徳者を称するときは、「子」を氏の上に冠することはせず、ただ「某子」とのみ言う。
 
<原文>
若高子孟子之類是
<訓読>
高子・孟子の類の若き是なり。
<現代語訳>
「高子」「孟子」の類いはこの例である。
 
 

『論語注疏』学而篇「子曰學而時習之不亦説乎〜」①

今回から学而篇の本文に入っていく。注釈の量が多いので何回かに分けて書いていく。

論語本文に関しては太字で、注釈に関しては細字で記す。

 

<原文>

子曰學而時習之不亦説乎
<訓読>
子曰く學びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。
<現代語訳>
孔子先生が言った「学んでしばしばその内容を復習する。なんと喜ばしいことではないか。
 
<原文>
馬曰子者男子通稱謂孔子也王曰時者學者以時誦習之誦習以時學無廢業所以為説懌
<訓読>
馬曰く子は男子の通稱、謂ふは孔子なり。と。王曰く時は學ぶ者時を以て之を誦習し、誦習するに時を以てす。學びて廢業する無きは説懌と為す所以なり。と。
<現代語訳>
馬融が言うには「「子」は男子の通称である。ここでは孔子のことを言う。」と。王粛が言うには「「時」とは学者が時節に応じて書物を声に出して学習し、学習するのには時節に応じることを要することである。学問して止まる所が無いことは喜ばしい理由である。」と。
 
<原文>
有朋自遠方来不亦楽乎
<訓読>
朋有り遠方自り来たる、亦楽しからずや。
<現代語訳>
朋が遠方よりわざわざ訪ねてくる。亦なんと楽しいことではないか。
 
<原文>
包曰同門曰朋
<訓読>
包曰く同門を朋と曰ふ。と。
<現代語訳>
包咸が言うには「「朋」とは同門のことである。」と。
 
<原文>
人不知而不慍不亦君子乎
<訓読>
人知らずして慍まず、亦君子ならずや。
<現代語訳>
他人が自分のことを知らなくとも怒らない。亦なんと君子ではないか。」と。
 
<原文>
慍怒也凡人有所不知君子不怒
<訓読>

慍は怒なり。凡人の知らざる所有れども、君子は怒らず。

<現代語訳>

慍」は怒である。凡人が自分のことを知らなくとも、君子はそのことをいちいち気にして怒ることはない。
 
<原文>
 子曰學而至君子乎
<訓読>
子曰く學びてより君子に至るまで。
<現代語訳>
子曰く學びてより君子に至るまで。
 
<原文>
正義曰此章勧人學為君子也
<訓読>
正義に曰く此の章人に學びて君子と為るを勧めるなり。
<現代語訳>
論語正義』に言う、「この章は人に学問をして君子となることを勧める章である。」と。
 
<原文>
子者古人稱師曰子
<訓読>
子は古人師を稱して子と曰ふ。
<現代語訳>
「子」とは古人が師のことを指して「子」と称していたことに由来する。
 
<原文>
子男子之通稱此言子者謂孔子
<訓読>
子は男子の通稱なるも、此こに子を言ふは孔子を謂ふなり。
<現代語訳>
「子」は男子の通称ではあるが、ここで「子」と言っているのは孔子のことを指しているのである。
 
<原文>
曰者説文云詞也従口乙聲亦象口気出也
<訓読>
曰とは説文に「詞なり。口に従ひ、乙聲。亦口気の出づるに象るなり。」と云ふ。
<現代語訳>
「曰」とは『説文解字』に「詞である。発語であり乙の声である。口から呼気の出る様を象っている。」と述べられている。
 
<原文>
然則曰者發語詞也
<訓読>
然らば則ち曰は發語の詞なり
<現代語訳>
そうであるならば「曰」は発語の詞である。
 
<原文>
以此下是孔子之語故以子曰冠之
<訓読>
此の下は是孔子の語なるを以て、故に子曰を之に冠する。
<現代語訳>
これより以下は孔子先生の語である故に「子曰」を先頭部に冠するのである。
 
<原文>
或言孔子曰者以記非一人各以意載無義例也
<訓読>
或いは「孔子曰」と言ふは、以ふに記すもの一人に非ず、各々意を以て載するに義例無きなり。
<現代語訳>
或いは「孔子曰」と書いてあるのは思うに、記録した者が一人ではないことを示しているのであり、各々が『論語』を編纂するにあたり、収録する文の凡例というものが無かったのであろう。
 
<原文>
白虎通云學者覺也覺悟所未知也
<訓読>
白虎通に云ふ、「學とは覺なり。覺とは未だ知らざる所を悟るなり。」と。
<現代語訳>
『白虎通』に「「學」とは「覺」である。「覺」とは知らなかったことを悟るの意味である。」とある。
 
<原文>
孔子曰學者而能以時誦習其経業使無廢落不亦説懌乎
<訓読>
孔子曰く學ぶ者にして能く時を以て其の経業を誦習し、廢落無からしめるは亦説懌ならずや。
<現代語訳>
孔子先生が言うには「学問する者に時節に応じて経書を唱えること・実践的な営みを学ばせ、怠るところがないようにさせるのは、師として喜ばしいことである。
 
<原文>
學業稍成能招朋友有同門之朋従遠方而来與己講習不亦楽乎
<訓読>
學業は稍く成り、能く朋友を招き、同門の朋有りて、遠方より来たり、己と講習するは亦楽しからずや。
<現代語訳>
学業が段々と実を結び、朋友を招く、同じ学問を志す朋が居て、近くは勿論遠方からも来訪し、自分と互いに教え合うのはなんと楽しいことではないか。
 
<原文>
既有成徳凡人不知而不怒之不亦君子乎
<訓読>
既に成徳有るに凡人知らずして之を怒らざるは亦君子ならずや、と。
<現代語訳>
既に成熟した徳を身につけているのだから、凡人が自分のことを知ってくれなくともこれを怒らないのは亦君子として立派なことではないか。」と。
 
<原文>
言誠君子也君子之行非一此其一行耳故云亦也
<訓読>
言ふこころは、誠の君子なり。君子の行いは一に非ず、此れは其の一行なるのみ、故に亦と云ふなり。
<現代語訳>
言っていることは誠の君子のことである。君子の行いは一つだけではなく、これはその一例に過ぎない。だから「亦」と言っているのである。