翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『論語注疏』学而篇第五章「子曰道千乗之國〜」④

一週間ほど間が空いてしまいました。今回も相変わらず、学而篇第五章の注疏の訓読訳になります。

 

<原文>

必有二法者聖王治國安不忘危
<訓読>
必ず二法有る所以は聖王の國を治むるに、安にして危を忘れざればなり。
<現代語訳>
出軍の法が必ず二つあるのは、聖王が国を統治するにあたり、平和であっても有事を忘れずない為である。
 
<原文>
故今所在皆有出軍之制
<訓読>
故に今の在る所は皆出軍の制有るなり。
<現代語訳>
故に現在、どの国にも出軍の制度があるのである。
 
<原文>
若従王伯之命則依國之大小出三軍二軍一軍也
<訓読>
若し王伯の命に従はば、則ち國の大小に依り、三軍・二軍・一軍を出だすなり。
<現代語訳>
もし王・伯の命令に従えば、国の大小に依って、三軍・二軍・一軍を出軍させるのである。
 
<原文>
若其前敵不服用兵未已則盡其境内皆使従軍
<訓読>
若し其れ前敵服せず、兵を用ふること未だ已まざれば、則ち其の境内を盡し皆従軍せしむ。
<現代語訳>
もしそれであっても、敵が降伏することなく、戦がまだ止まないようであれば、領内の人民全てを動員し、皆従軍させる。
 
<原文>
故復有此計地出軍之法
<訓読>
故に復た此の計地出軍の法有り。
<現代語訳>
故に此の土地に関する計測には出軍の法があるのである。
 
<原文>
但郷之出軍是正故家出一人
<訓読>
 但し郷の出軍は是正にして、故に家より一人を出だす。
<現代語訳>
ただし、郷の出軍は決まっているので、一家につき一人を従軍させる。
 
<原文>
計地所出則非常故成出一車
<訓読>
地の出だす所を計るは則ち非常なり、故に成は一車を出だす。
<現代語訳>
土地の産出できる軍事資源を計ることは非常である。故に四方十里の土地からは車一台を徴発するのである。
 
<原文>
以其非常故優之也
<訓読>
其の非常なるを以て故に之を優にするなり。
<現代語訳>
非常のことであるので、このことは要なのである。
 
<原文>
包曰道治也者以治国之法不惟政教而已下文道之以徳謂道徳故易之但云道治也
<訓読>
包曰く「「道」は「治」なり。」とは、治国の法は惟に政教なるのみにならず、下文に之を道びくに得を以てすとは道徳を謂ふを以て、故に之を易へて、但だ「「道」は「治」なり。」と云ふなり。
<現代語訳>
包咸の「「道」は「治」である。」とは、治国の法は政教のみによるのではなく、為政篇第三章の「之を道くに徳を以てす。」という文は道徳のことを指していることから、この文を念頭に置いて、「「道」は「治」である。」と述べているのである。
 
<原文>
云千乗之國百里之國也者謂夏之公侯殷周上公之國也
<訓読>
「千乗の國は百里の國なり」と云ふは、夏の公・侯、殷周の上公の國を謂ふなり。
<現代語訳>
「千乗の国とは百里四方の国である。」と述べているのは、夏の公・侯、殷周の上公の国を指しているのである。
 
<原文>
者井田方里為井者孟子云方里而井井九百畝是也
<訓読>
「古の井田は方里を井に為す」と云ふは、孟子に「方里にして井、井は九百畝なり」と云ふは、是なり。
<現代語訳>
「古代に行われた井田は、一里四方の田地を井として」と述べているのは、『孟子』に「方里にして井、井は九百畝なり」と言っているが、このことである。
 
<原文>
云十井為乗百里之國適千乗也者此包以古之大國不過百里百里賦千乗故計之毎十井為一乗
 <訓読>
十井を乗と為す。百里の国は千乗に適するなり。」と云ふは、此れ包は古の大國は百里を過ぎず、百里を以て千乗を賦とするを以て、故に之を計るに十井毎に一乗と為す。
<現代語訳>
「十井を乗とした。百里の国は千乗の国に匹敵する。」と述べているのは、包咸は古代の大国は百里を超えることはなく、百里ごとに千乗の賦役を課したことから、十井ごとに一乗とした。
 
<原文>
是方一里者十為一乗則方一里者百為十乗
<訓読>
是方一里なる者十を一乗と為せば、則ち方一里なる者百は十乗と為る。
<現代語訳>
四方一里十個分を一乗とすれば、四方一里百個分は十乗である。
 
<原文>
開方之法方百里者一為方十里者百毎方十里者一為方一里者百其賦十乗
<訓読>
開方の法、方百里なる者一を方十里なる者百と為し、毎方十里なる者一を方一里なる者百と為す、其の賦は十乗なり。
<現代語訳>
開方の法を用いると、四方百里一個分は四方十里百個分となり、四方十里一個分を四方一里百個分とすれば、その賦役は十乗となる。
 
<原文>
方十里者百則其賦千乗地與乗數適相当
<訓読>
方十里なる者百は、則ち其の賦は千乗、地と乗の數と適して相当たる。
<現代語訳>
四方十里百個分だと、その賦役は千乗であり、土地面積と乗の数値は互いに合致している。
 
<原文>
故曰適千乗也
<訓読>
故に「千乗に適する。」と曰ふなり。
<現代語訳>
故に「千乗の国に匹敵する。」と言うのである。
 
<原文>
云融依周禮包依王制孟子者馬融依周禮大司徒文以為諸侯之地方五百里侯四百里以下也
<訓読>
「融、周禮に依る。包、王制・孟子に依る。」と云ふは、馬融は周禮大司徒の文に依りて、以為へらく諸侯の地は方五百里、侯は四百里以下なり、と。
<現代語訳>
「馬融は『周禮』に依拠し、包咸は『礼記』王制篇と『孟子』に依拠する。」と述べているのは、馬融は『周禮』大司徒の文に依拠して、思うに諸公の土地は四方五百里、諸侯の土地は四方四百里以下としている。
 
<原文>
包氏依王制云凡四海之内九州州方千里州建百里之國三十七十里之國六十五十里國百有二十凡二百一十國也
<訓読>
包氏は王制に「凡そ四海の内に九州、州は方千里、州ごとに百里の國を三十、七十里の國を六十、五十里の國を百有二十建つ。凡そ二百十國なり。」と云ふに依る。
<現代語訳>
包咸は『禮記』王制篇に「四海の内に九州あり、一州は四方千里であり、一州ごとに四方百里の国を三十、四方七十里の国を六十、四方五十里の国を百二十余りを建国できる。およそ二百十国である。」とあるのに依拠している。
 
<原文>
孟子云天子之制地方千里公侯之制皆方百里伯七十里子男五十里
<訓読>
孟子に「天子の制、地は方千里、公侯の制は皆方百里、伯は七十里、子・男は五十里」と云ふ。
<現代語訳>
又『孟子』に「天子の制では、領地は四方千里、公・侯の制では、領地は四方百里、伯は七十里、子・男は五十里である。」とある。
 
<原文>
包氏據此以為大國不過百里不信周禮有方五百里百里之封也
<訓読>
包氏此れに據りて以為へらく、大國は百里を過ぎず、周禮に方五百里・四百里の封有るを信ぜざるなり。
<現代語訳>
包咸はこれらの文に依拠して、思うに、公・侯の大国は百里を超えず、『周禮』にある四方五百里・四百里の封土を信じることができなかったのである。
 
<原文>
馬氏言名包氏不言名者包(何)氏避其父名也
<訓読>
馬氏名を言ふも、包氏名を言はざるは、何氏其の父の名を避ければなり。
<現代語訳>
馬融の名は述べ、包咸の名は述べないのは、何晏が父の名である「咸」を避けたのである。
 
<原文>
云義疑故兩存焉者以周禮者周公致太平之書為一代大典
<訓読>
「義疑わしき故に両つ在す。」と云ふは、周禮は周公の太平を致すの書なるを以て、一代の大典なり。
<現代語訳>
「「千乗の道」の意味する所は明らかでないので、代表する二つの解釈を収録した。」と述べているのは、『周禮』は周公が嘗て太平を成し遂げたことを記した書物であって、周一代の大典である。
 
<原文>
王制者漢文帝令博士所作
<訓読>
王制は漢の文帝博士をして作らしめる所なり。
<現代語訳>
『禮記』王制篇は前漢の文帝が博士に命令して編纂させたものである。
 
<原文>
孟子者鄒人也名軻師孔子孫子
<訓読>
孟子は鄒人なり。名は軻、孔子孫子思を師とす。
<現代語訳>
孟子は鄒の人である。名は軻。孔子の孫である子思に師事した。
 
<原文>
治儒術之道著書七篇亦命世亜聖之大才也(漢の趙岐、孟子題辞
<訓読>
儒術の道を治め、書七篇を著し、亦命世・亜聖の大才なり。
<現代語訳>
儒学の道を修めて、七篇の書物を著した。「命世亜聖の才」と呼ばれる。
 
<原文>

今馬氏包氏各以為據難以質其是非莫敢去取於義有疑故兩存其説也

<訓読>

今馬氏・包氏各々以て據と為せば、以て其の是非を質し難く、敢へて去取すること莫く、義に於いて疑ひ有り、故に兩つながら其の説を存するなり。   
<現代語訳>

今、馬融・包咸それぞれに依拠する所があり、その為その是非は判別し難く、敢えて選びとることはできない。だがその意味する所には若干の疑問があるので、両者の説を並記したのである。

 

<補説>

構成の都合上だいぶ長くなってしまいました…恐らく次回で第五章は終わると思います。

孟子のことを指している「命世」とは傑出した才能を持つ人という意味もあり、このままでも孟子には該当しますが、赤字で書いた通り趙岐の言葉を受けて繋げて読みました。

注釈の理解をするには経書の知識・理解が必須ですが、今回はそれが如実に出ている感がしました。楽しかったです。