翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『論語注疏』学而篇第六章「子曰弟子入則孝出則弟〜」

今回は学而篇第六章を扱っていきます。短いながらも、学問といかに向き合うかの示唆を与えてくれる章だと思っています。

なお、本文の現代語訳に関しては根本通明先生の読みを参考にさせて頂いてます。

<原文>

子曰弟子入則孝出則弟
<訓読>
子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟。
<現代語訳>
孔子先生が仰った、「若い者は家の中に居ては修養して善に至ることを目指し、外に出ては年長者に失礼のないようにする。
 
<原文>
謹而信汎愛衆而親仁
<訓読>
謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しむ。
<現代語訳>
よく考えてものを言い、言ったことは必ず実行して偽りのないようにする。別なく大勢の人と交わり、その中でも仁者とはより一層の付き合いを心がける。
 
<原文>
行有餘力則以學文
<訓読>
行ひて餘力有らば、則ち以て文を學ぶべし。」と。
<現代語訳>
以上のことを行って、まだ修養する余力が有れば、その時は先人の文章を學べばよい。」と。
 
<原文>
馬曰文者古之遺文
<訓読>
馬曰く、文は古の遺文なり。
<現代語訳>
馬融によると、「文」とは先王の遺文である。
 
<原文>
疏 
子曰弟子至以學文
<訓読>
「子曰く弟子」から「以て文を學ぶべし」に至るまで。
<現代語訳>
「子曰く弟子」から「以て文を學ぶべし」に至るまで。
 
<原文>
正義曰此章明人以徳焉本學為末
<訓読>
正義に曰く「此の章、人は徳を以て本とし、學を末と為すことを明らかにす。」と。
<現代語訳>
論語正義』によると、此の章は人は徳を育てることを本として、文を學ぶことは末であることを明らかにした章である。
 
<原文>
男子後生為弟
<訓読>
男子の後に生るるを弟と為す。
<現代語訳>
男子で長男より後に生まれる者が弟である。
 
<原文>
言為人弟與子者入事父兄則當孝與弟也
<訓読>
言ふこころは、人の弟と子為る者は入りて父兄に事へるは則ち當に孝と弟たるべきなり。
<現代語訳>
言うこころは、人の弟・子である者は家の中に居て父兄に仕えるに、その姿勢は「孝」と「弟」でなければならない。
 
<原文>
出事公卿則當忠與順也弟順也
<訓読>
出でて公卿に事へるは則ち當に忠と順たるべきなり。弟は順なり。
<現代語訳>
家の外に出て公卿に仕えるに、その姿勢は「忠」と「順」でなければならない。「弟」とは「順」である。
 
<原文>
入不言弟出不言忠者互文可知也
<訓読>
入りて弟と言はず、出でて忠と言はざるは、互文にして知るべきなり。
<現代語訳>
本文で家に居て「弟」と言わず、外に出て「忠」と言わないのは、互文の形式で察することができるからである。
 
<原文>
孔子云出則事公卿入則事父兄孝経云事父孝故忠可移於君事兄弟故順可移於長是也
<訓読>
下に孔子、「出ては則ち公卿に事へ、入りては則ち父兄に事へる」と云ひ、孝経に「父に事へて孝ならば、故に忠は君に移すべし。兄に事へて弟ならば、故に順は長に移すべし。」と云ふは是なり。
<現代語訳>
子罕篇に「家の外に出ては公卿に仕え、家の中に入っては父兄に仕える。」とあり、『孝経』廣揚名章に「父に仕えて「孝」でならば、君に仕えても「忠」であるはずだし、兄に仕えて「弟」であるならば、年長者に仕えても「順」であるはずだ。」とあるのはこのことである。
 
<原文>
謹而信者理兼出入
<訓読>
謹みて信」とは、理は出入を兼ぬ。
<現代語訳>
「謹みて信」とは、言行は家の内外を問わず共通しているものであり、
 
<原文>
言恭謹而誠信也
<訓読>
言ふこころは、恭謹にして誠信なり。
<現代語訳>
恭謹にして誠信でなければならない。
 
<原文>
汎愛衆者汎者寛博之語
<訓読>
「汎く衆を愛す」とは、汎は寛博の語なり。
<現代語訳>
「汎く衆を愛す」とは、「汎」は広く緩やかな語である。
 
<原文>
君子尊賢而容衆或(故)博愛衆人也
<訓読>
君子は賢を尊び、衆を容るる。故に博く衆人を愛するなり。
<現代語訳>
君子は賢者を尊び、大勢を受け容れる。故に博く大衆を愛し受け容れるのである。
 
<原文>
而親仁者有仁徳者則親而友
<訓読>
「而して仁者に親しむ」とは、仁徳有る者に則ち親しみ之を友とするなり。
<現代語訳>
「而して仁者に親しむ」とは、仁徳がある者に親しんでこれを友人とすることである。
 
<原文>
能行已上諸事仍有閒暇餘力則可以學先王之遺文
<訓読>
能く已上の諸事を行ひて、仍ほ閒暇餘力有らば、則ち以て先王の遺文を學ぶべし。
<現代語訳>
よくよく上記のことを行ってそれでも暇と余力があるならば、その時は先王の遺文を學ぶべきである。
 
<原文>
若徒學其文而不能行上事則為言非行偽也
<訓読>
若し徒らに其の文を學びて、而れども上事行ふ能はずんば、則ち言は非行にして偽なり。
<現代語訳>
もし、徒らに先王の遺文を學んでも、上記の行いができていなければ、言は行いと一致せず、偽となる。
 
<原文>

注言古之遺文者則詩書禮楽易春秋六経是也

<訓読>

注に「古の遺文」と言ふは詩書禮楽易春秋の六経、是なり。

<現代語訳>

注に「古の遺文」とあるのは『詩経』『尚書』『禮記』『楽記』『易経』『春秋』を指している。
 
 
<補説>

赤字で「故」と記した箇所は「或」を誤字とする宋本に拠ります。また注疏との内容の都合上、「汎く衆を愛して仁に親しむ。」と訓読しましたが、「汎く衆を愛して親しむ。仁を行ひて〜」と読んでもいいかなと思いました。