翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『論語注疏』学而篇第七章「子夏曰賢賢易色〜」

今回は学而篇の第七章を扱います。現代語訳は注疏と合わした訳を心がけましたが、根本先生の『論語講義』に全く異なる解釈が書かれていたので、最後<補説>にて紹介したいと思います。赤字は阮元による校勘です。

 

<原文>

子夏曰賢賢易色
<訓読>
子夏曰く賢を賢として色に易へ、
<現代語訳>
子夏が述べた、「美人を好むように有徳の人物を好み
 
<原文>
孔曰子夏弟子卜商也
<訓読>
孔曰く、子夏は弟子の卜商なり。
<現代語訳>
孔安国が言うには、「子夏は孔子の弟子の卜商である。
 
<原文>
言以好色之心好賢則善
<訓読>
言ふこころは、好色の心を以て賢を好めば則ち善なり、と。
<現代語訳>
言うこころは、美人を好む心の方向を変えて有徳の人物に向けて好めば善である。」と。
 
<原文>
事父母能竭其力事君能致其身
<訓読>
父母に事へて能く其の力を竭くし、君に事へて能く其の身を致す。
<現代語訳>
父母に仕えては力を尽くし、君主に仕えては自身の身を惜しまず仕える。
 
<原文>
孔曰盡忠節不愛其身
<訓読>
孔曰く、忠節を盡すに其の身を愛まず、と。
<現代語訳>
孔安国が言うには、「忠節を尽くすのに我が身を惜しんではいけない。」と。
 
<原文>

與朋友交言而有信雖曰未學吾必謂之學矣

<訓読>

朋友と交わり、言ひて信有らば、未だ學ばずと曰ふと雖も、吾必ず之を學びたりと謂はん、と。
<現代語訳>

朋友と交流するにあたり、自身の発言を実行し、それで信用を得ているようであれば、その人が未だ學問をしていない人だと言っても、私は必ずこの人を學問をした人だと言おう」と。

 

<原文>

疏 子夏曰至之學矣

<訓読>

「子夏曰」から「之學矣」に至るまで。
<現代語訳>
「子夏曰」から「之學矣」に至るまで。
 
<原文>
此章論生知美行之事
<訓読>
正義に曰く、「此の章は生まれながらに美行を知るの事を論ず。」と。
<現代語訳>
論語正義』によると、「此の章は人は生まれながらに善行がなんたるか知っている事を論じている。」とある。
 
<原文>
賢賢易色者上賢謂好尚之也下賢謂有徳之人
<訓読>
「賢を賢として色に易へ」とは、上の賢は之を好尚するを謂ふなり。下の賢は有徳の人なり。
<現代語訳>
賢を賢として色に易へ」とは、上の「賢」の字はその対象を好む事を言い、下の「賢」の字は有徳の人を言っている。「
 
<原文>
易改也色女人也
<訓読>
「易」は「改」なり。「色」は「女人」なり。
<現代語訳>
「易」の字は「改」の意である。「色」の字は「女人」を表している。
 
<原文>
女有姿(美)色男子悦之
<訓読>
女美色有りて、男子之を悦ぶ。
<現代語訳>
女人が美人だと男は悦ぶものである。
 
<原文>
故經傳之文通謂女人為色
<訓読>
故に經傳の文通じて、女人を謂ひて「色」と為す。
<現代語訳>
故に経の本文でも、注釈の傳でも一貫して女人を言うのに「色」としているのである。
 
<原文>
人多好色不好賢
<訓読>
人は色を好みて賢を好まざる多し。
<現代語訳>
一般に美人を好めども有徳の人を好む者は多くはないものである。
 
<原文>
能改易好色之心以好賢則善矣
<訓読>
能く好色の心を改易するを以て、賢を好めば則ち善なり。
<現代語訳>
美人を好むこころを改めて、その好む先を有徳の人に向けて、それを好めば善なのである。
 
<原文>
故曰賢賢易色也事
<訓読>
故に曰く「賢を賢として色に易ふへ」と。
<現代語訳>
故に「美人を好むように有徳の人物を好み」と述べているのである。
 
<原文>
父母能竭盡其力者謂小孝也
<訓読>
「父母に事へて能く其の力を竭くし」とは、小孝なり。
<現代語訳>
「父母に事へて能く其の力を竭くし」とは孝ではあるが、小さな孝である。
 
<原文>
言為子事父雖未能不匱但竭盡其力服其勤労也
<訓読>
言ふこころは、子と為りて父に事ふるに、未だ匱からざること能はずと雖も、但だ其の力を盡し其の勤労に服するのみなり。
<現代語訳>
言うこころは、子が父に仕えるのに、未だ至らないところが残っていると雖も、自身の力を尽くして勤労に励むだけである。
 
<原文>
事君能致其身者言為臣事君雖未能将順其美匡救其悪但致盡忠節不愛其身若童汪踦也
<訓読>
「君に事へて能く其の身を致す」とは、言ふこころは、臣と為りて君に事ふるに、未だ其の美に将順して其の悪を匡救する能はずと雖も、但だ忠節を致し盡して、其の身を愛まざること、童汪踦の若くするのみなり。
<現代語訳>
「君に事へて能く其の身を致す」とは、言うこころは臣となって君に仕えるのに、君の徳に付き従いその過ちを正して救うことができないと雖も、忠節を尽くして自分の身を顧みないこと、童汪踦のごとくあるだけである。
 
<原文>
與朋友交言而有信者謂與朋友結交雖不能切磋琢磨但言約而毎有信也
<訓読>
「朋友と交わり、言ひて信有らば」とは、朋友と結び交わり、切磋琢磨する能はずと雖も、但だ言は約して毎に信有るを謂ふなり。
<現代語訳>
「朋友と交わり、言ひて信有らば」とは、朋友と交流して、互いに切磋琢磨することはできないと雖も、言った事は守り、何か発言する度に信用を得るだけのことを述べているのである。
 
<原文>
雖曰未學吾必謂之學矣者言人生知行此四事雖曰未嘗従師伏膺學問然此為人行之美
(者)雖學亦不是過
<訓読>
「未だ學ばずと曰ふと雖も、吾必ず之を學びたりと謂はん」とは、言ふこころは、人生まれながらに此の四事を行ふを知るならば、未だ嘗て師に従ひて學問を伏膺せざると曰ふと雖も、然れども此れ人の行ひの美たる者なれば、學と雖も亦是に過ぎず。
<現代語訳>
「未だ學ばずと曰ふと雖も、吾必ず之を學びたりと謂はん」とは、生まれながらにして、以上の四つのことを行う事を知っているならば、未だ嘗て師匠に従って學問したことを心に留めて忘れないという経験をしていなくとも、四事は人の行いとして善なるものであるから、學問と雖もこれより優れているということはない。
 
<原文>
故吾必謂之學矣
<訓読>
故に「吾必ず之を學びたりと謂はん」となり。
<現代語訳>
故に「吾必ず之を學びたりと謂はん」とあるのである。
 
<原文>
註孔曰子夏弟子卜商
<訓読>
註の「子夏は弟子の卜商なり。」。
<現代語訳>
註の「子夏は弟子の卜商なり。」について。
 
<原文>
正義曰案史記仲尼弟子傳云卜商字子夏衛人也
<訓読>
正義に曰く、「案ずるに、史記仲尼弟子傳に「卜商、字は子夏、衛人なり、と云ふ。
<現代語訳>
論語正義』によると、「私が考えるに『史記』仲尼弟子傳に「卜商、字は子夏、衛人なり、と言われている。
 
<原文>
孔子四十四歳
<訓読>
孔子より少きこと四十四歳なり。
<現代語訳>
孔子より四十四歳若く、
 
<原文>
孔子既没居西河教授為魏文侯師
<訓読>
孔子既に没し、西河に居して教授す。魏の文侯の師と為る。」と云ふ。」と。
<現代語訳>
孔子が死んだ後は黄河の西に住み、教えを授けていた。魏の文侯の師となった。」とある。」と述べられている。
<補説>
・「賢を賢として色に易へ」の箇所を根本先生は、「易」を「軽んずる」と読んでおられます。これは妻を娶る際のことを言ったもので、即ち妻を娶るというのは一家の大事でありますから、顔色の美しい方を軽く取り、徳のある方を重く取る。賢徳ある妻を娶れば、一家もよく治り、父母にもよく事えることができます。そのため「父母に事へて能く其の力を竭くし」の主語は子だけでなくその妻をも含みます。何となれば、男子は外に出て事を行うものですので、家に居て両親を取り扱うのは妻だからです。
 
・「父母に事へて能く其の力を竭くし、君に事へて能く其の身を致す。」の箇所は、第六章の疏で引かれていた『孝経』の一節「父に事へては孝、故に忠は君に移すべし。兄に事へては弟、故に順は長に移すべし。」に通じます。
 
・「朋友と交わり、言ひて信有らば」は第四章の「朋友と交はりて信ならざるか。」と相通じます。