翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『史記』夏本紀第二 (2)

今回は前回からの続きになります。

*アンダーラインを引いている箇所は自信の無い箇所です。

 

【原文】

 當帝堯之時、鴻水[一]滔天、浩浩懷山襄陵、下民其憂。堯求能治水者、羣臣四嶽皆曰鯀可。堯曰「鯀為人負命毀族、不可。」四嶽曰「等之未有賢於鯀者、願帝試之。」於是堯聽四嶽、用鯀治水。九年而水不息、功用不成。於是帝堯乃求人、更得舜。舜登用、攝行天子之政、巡狩。行視鯀之治水無狀、[二]乃殛鯀於羽山以死。[三]天下皆以舜之誅為是。於是舜舉鯀之子禹、而使續鯀之業。

[一]索隠 一作「洪」。鴻、大也。以鳥大曰鴻、小曰鴈、故近代文字大義者皆作「鴻」也。

[二]索隠 言無功狀。

[三]正義 殛音紀力反。鯀之羽山、化為黄熊、入于羽淵。熊音乃来反、下三點為三足也。東皙發蒙紀云「鼈三足曰熊。」

 

【訓読】

 當て帝堯の時、鴻水滔天し、浩浩として山を懷し陵を襄せば、下民其れを憂ふ。堯能く水を治むる者を求るに、羣臣四嶽皆曰く鯀可なり、と。堯曰く「鯀の人と為りや命に負ひ族を毀す、不可なり。」と。四嶽曰く、「之と等ぶるに未だ鯀より賢なる者有らず、願ふ帝之を試さんことを。」と。是に於いて堯四嶽を聽き、鯀を用ひ水を治めしむ。九年にして水息まず、用ふるの功成らず。是に於いて帝堯乃ち人を求め、更に舜を得る。舜を登用するや、天子の政、巡狩を攝行せしむ。行きて鯀の水を治むるに狀無きを視、乃ち鯀を羽山に殛し以て死せしむ。天下皆舜の誅するを以て是と為す。是に於いて舜鯀の子禹を擧げ、而して鯀の業を續けしむ。

[一]索隠 一に「洪」と作る。鴻は、大なり。鳥の大なるを以て鴻と曰ひ、小なるを鴈と曰ふ、故に近代文字大の義を皆「鴻」に作るなり。

[二]索隠 言ふこころは功狀無きなり。

[三]正義 殛音紀力反。鯀之羽山に、化けて黄熊と為り、羽淵に入る。熊音乃来反、下の三點を三足と云ふなり。東皙の發蒙紀に云ふ「鼈の三足なるを熊と曰ふ。」と

 

【現代語訳】

 かつて帝堯の治世下で、洪水が発生した。その勢いはまさに天まで届かんというもので、山を飲み込み陵を覆い込んだ。その為人民は洪水を恐れ心配した。この時にあたり、堯が治水を任せる人物を求めると、群臣と四嶽は口を揃えて「鯀ならばできるでしょう。」と述べた。これに対して堯は「鯀の性格は命令には背き、一族間に亀裂を入れるものだ。とても治水を任せられる人物ではない。」と断った。だが四嶽は「今天下の人間と鯀を比べますに、鯀より賢い者は居りません。どうか、鯀を試しに用いてみてください。」と食い下がった。ここに来て遂に堯も根負けし、四嶽の言を聞き入れ、鯀を登用し治水を担当させた。ところが、九年経っても治水は上手くいかず、せっかく登用したもののそれに見合う功績が無かった。そこで、堯は再び治水を任せる人物を求め、舜を得た。舜を登用すると堯はこれに、天下の政・巡狩を取り仕切らせた。舜は天下を巡狩し、鯀の治水が全く上手くいっていないのを確認すると、鯀を羽山にて誅殺した。天下の人民は皆、この処置に賛同した。そこで、舜は鯀の代わりに彼の息子である禹を登用し、父親の仕事を引き継がせた。

[一]索隠 異本では「洪」の字となっている。鴻とは「大きい」の意味である。大きい鳥を鴻と言い、小さい鳥を鴈と言う。その為、近代の文字では「大きい」の意味を表現するのに、皆「鴻」の字を用いている。

[二]索隠 言うところは、報告するべき事績が無かったということである。

[三]正義 殛の音は紀の子音と力の母音を合わせた音である。鯀は羽山で誅殺された後、黄熊に化け、羽淵という深い池に赴いた。熊の音は乃の子音と来の母音を合わせた音である。熊の字の下の三点は三足を示している。東皙の「發蒙紀」に「スッポンの三足なものを熊と言う。」とある。