翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『春秋公羊傳何休解詁』隠公①

「傳」は公羊傳を指し、「注」は後漢儒学者である何休の施した注釈である。

 

原文

経 

元年春王正月
元年者何
諸据疑問所不知故曰者何
 
訓読
元年春。王の正月。
元年とは何ぞ。
諸々の疑わしきを据え、知らざる所を問ふ故に「者何」と曰ふ。
 
現代語訳
元年春。王の正月。
元年とは何か。
不思議に思った箇所を明瞭にし、未だ知らない事を問うから「者何」というのである。
 
 
原文
君之始年也

以常録即位知君之始年君魯公隠公也年者十二月之揔號春秋書十二月稱年是也變一為元元者氣也無形以起有形以分造起天地天地之始也故上無所繋而使春繋之也不言公言君之始年者王者諸侯皆稱君所以通其義於王者惟王者然後改元立號春秋託新王受命於魯故因以録即位明王者常繼天奉元養成萬物

 

訓読

君の始年なり
常、即位を録するを以て君の始年を知る。君は魯公隠公なり。年とは十二月の
號なり。春秋、十二月を書して年と稱する。是なり。一を變じて元と為す。元は氣なり。無形以て起こり有形以て分かたる。天地を造り起こし、天地の始なり。故に上に繋ぐる所無くして春をして之に繋ぐなり。公と言はずして君の始年と言ふは王者・諸侯皆君を稱し、其の義を王者に通ぜしめる所以なり。惟だ王者のみ元を改め然る後に號を立つる。春秋、新王の受命を魯に託すに因るに、即位を録するを以て、王
常に天を繼ぎ元を奉じ萬物を養成するを明らかにす。
 
現代語訳
君の最初の年である。

通常、即位を記録するから、君の最初の年であることがわかる。君とは魯公の隠公である。年とは十二月の総称である。『春秋』も、十二月を年と表記するのである。一は「元」に変えている。「元」とは気である。無形がそれによって起こり、有形がそれによって分かれる。(「元」)は天地を創造する、天地の始である。故に(「元」の)上に繋げるものがなく、(下に)春を繋げるのである。「公」と言わずに「君の始年」と言うのは、王者・諸侯ともに「君」と称しており、「公」では王者の意味が出ないからである。王者であって初めて「元」を改め、その後、號を立てることができる。『春秋』は新王の受命を魯に仮託したため、それに因んで即位を記録することで、王は常に天を継ぎ元を奉じて万物を養うべきであることを明らかにしたのである。

 

 

原文

春者何

獨在王上故執不知者
 
訓読
春とは何ぞ
獨り王の上に在る故を執りて知らず。
 
現代語訳
春とは何か。
(「春」のみが)王の上に書かれるから、そのことを疑問に思ったのである。
 
 
原文

歳之始也

以上繋元年在王正月之上知歳之始也春者天地開辟之端養生之首法象所出四時本名也昬斗指東方曰春指南方曰夏指西方曰秋指北方曰冬歳者揔號其成功之稱尚書以閏月定四時成歳是也

 

訓読

歳の始なり。
上に繋ぐに元年、「王正月」の上に在るを以て、歳の始を知るなり。春とは天地開辟の端、養生の首、法象の出ずる所にして、四時の本名なり。昬に斗の東方を指すを春と曰ひ、南方を指すを夏と曰ひ、西方を指すを秋と曰ひ、北方を指すを冬と曰ふ。歳は揔號にして其の成功の稱なり。『尚書』の「閏月を以て四時を定め歳と成す」是なり。
 
現代語訳

歳の始である。

上の字に向かって「元年」の下にあり、下に向かって「王正月」の上に在るから、歳の始であることがわかる。春とは天地開闢のきっかけ、養生のはじめ、法令の出るところであり、四時の基本の名である。日暮に斗が東方を指している時を春といい、南方を指している時を夏といい、西方を指している時を秋といい、北方を指している時を冬という。歳は四時の功績を総括した称である。『尚書』に「閏月を立てて四時を定め、歳を完成させた」というのがこのことである。
岩本憲司氏は、「斗」を北斗の柄としている。
 
 
原文
王者孰謂
孰誰也欲言時王則無事欲言先王又無諡故問誰謂
 
訓読
王とは孰を謂ふか。
孰は誰なり。時王を言はんと欲すれば則ち事無し、先王を言はんと欲すれば又諡無し。故に「誰謂」と問ふ。
 
現代語訳

王とは誰を指しているのか。

「孰」は「誰」である。当時の王を言おうとすれば、事績が書いていないのでおかしく、先王を言おうとすれば、諡号が書いていないので同じくおかしい。故に「誰謂」と尋ねたのである。
 
 
原文
謂文王也
以上繋王於春知謂文王也文王周始受命王天之所命故上繋天端方陳受命制正月故假以為王法不言諡者法其生不法其死與後王共之人道之始也
 
訓読
文王を謂ふなり。
上に繋ぐに王を春に於いてすを以て文王を謂ふを知るなり。文王は周の始て受命せし王なり。天の命ずる所の故に、上、天端に繋ぐる。方に受命して正月を制するを陳べんとすれば、故に假りて以て王法と為す。諡を言はざるは、其の生に法り其の死に法らず、後王と共にすればなり。之人道の始なり。
 
現代語訳
文王のことを言っているのである。
上の字に向かって「王」を「春」に繋げていることから、文王を指していることがわかる。文王は周の初めて受命した王である。天の命じた王であるから、「天端」に繋がるのである。受命して正月を制定することを述べようとしていたので、文王に仮託して王法としたのである。諡を言わないのは、文王の生前にのっとり、死後にはのっとらない、ということであり、後王と共にするということである。「王」は人道の始である。
岩本憲司氏によると、述べようとしたのは孔子である。
 
 
原文
曷為先言王而後言正月

据下秋七月天王先言月而後言王

 

訓読

曷為れぞ先に王を言ひて而る後に正月を言うか。
下に据えらるる「秋七月天王」、先に月を言ひて而る後に王を言へばなり。
 
現代語訳
どうして、先に王を言って後に正月を言うのか。
下にある「秋七月天王」の文では、先に月を言って後に王を言うから。