翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『春秋公羊傳何休解詁』隠公⑤

原文

傳 

曷為或言或言及或言曁猶最也

最聚也直自若平時聚㑹無他深淺意也最之為言聚若今聚民為投最

 

訓読

曷為れぞ或いは「」と言ひ、或いは「及」と言ひ、或いは「曁」と言ふ。「」は猶ほ「最」のごときなり。
「最」は「聚」なり。直だ平時の聚の若きによりて、他の深淺の意無きなり。「最」の言たるや「聚」。今、民を聚めて投最を為すが若し。
 
現代語訳
どうしてある時は「」と言い、ある時は「及」と言い、ある時は「曁」と言う。「」は「最」である。
「最」は「聚」である。通常時の聚と同じであって、他意は無い。「最」というのは「聚」と同じなる。今でも、民を聚めることを投最という。
 
 
原文
及猶汲汲也曁猶曁曁也及我欲之曁不得已也
我者謂魯也内魯故言我舉及暨者明當随意善悪而原之欲之者善重悪深不得已者善軽悪浅所以原心定罪
 
訓読 

「及」は猶ほ「汲汲」のごときなり。「曁」は猶ほ「曁曁」なり。「及」、我之を欲す、「曁」は已むを得ざるなり。

「我」は魯を謂ふなり。魯を内とするが故に「我」と言ふ。「及」と「曁」を擧げるは、當に善悪の意に随って、之を原ぬるを明らかにす。之を欲するは善重く悪深く、已むを得ざるは善軽く悪浅い。心を原ねて罪定まる所以なり。

 

現代語訳

「及」とは「汲汲」のような様である。「曁」とは「曁曁」のような様(止むを得ず共にする)である。
「及」と「曁」の両方を挙げているのは、意志の善悪に随って、これを尋ねるべきである、ということを明らかにするからである。「欲した」場合は善が重く悪が深い。「止むを得ない」場合は善が軽く開くが浅い。心(意志)を尋ねて罪が定まる所以である。
 
 
原文

儀父者何邾婁之君也

以言公及不諱知為君也
 
訓読
儀父とは何ぞや。邾婁の君なり。
「公及」と言ひて諱まざるを以て君たるを知るなり。
 
現代語訳
儀父とは誰か。邾婁の君である。

「公及」と言って諱んでいないことから、君主であることがわかる。

 

 

原文

何以名

据齊侯以禄父為名
 
訓読
何を以て名とす。
齊侯は禄父を以て名と為すに据る。
 
現代語訳
どうして名をいうのか。
齊侯は「禄父」が名であるから。
 
 
原文

字也

以當褒知為字

 

訓読

字なり。
當に褒を以て字たるを知る。
 
現代語訳
字である。
褒めて当然であることから字であることがわかる。
 
 
原文

曷為稱字

据諸侯當稱爵

 

訓読

曷為れぞ字を稱す。
諸侯は當に爵を稱すればなり。
 
現代語訳
どうして字を稱するのか。
諸侯は爵位を以て稱するから。
 
 
原文
褒之也

以宿與微者盟書卒知與公盟當褒之有土嘉之曰褒無土建国曰封稱字所以為褒之者儀父本在春秋前失爵在名例爾

 

訓読

之を褒めればなり。
宿、微者と盟するを以て卒を書く。公と盟するは當に之を褒めんとするを知る。土有するを嘉める、之を「褒」と曰ひ、土無くして国建てるを「封」と曰ふ。字を稱して之を褒めると為す所以は、儀父 本春秋在る前に爵を失して、名在るの例なればなり。
 
現代語訳

之(儀父)を褒めるからである。

宿が微賤な者と會盟したことでさえ、(それを褒めて)卒という字を用いて記録している。公と會盟している場合は尚更であり、褒めて当然であることがわかる。既に国土を有している人物を褒めた場合は「褒」といい、未だ国土を持っておらず、国を(代わりに)建てることを「封」という。字を稱することが褒めることになるのは、儀父が本来『春秋』以前に爵位を失っており、名をいう義例に属するからである。
 
 
原文
曷為褒之

据功不見

 

訓読

曷為れぞ之を褒める
功見はれずに据る。
 
現代語訳

どうして儀父を褒めるのか

功績が顯かではないから。
 
 
原文

為其與公盟也

為其始與公盟盟者殺生歃血詛命相誓以盟約束也傳不足言託始者儀父比宿勝薛最在前嫌獨為儀父發始下三國意不見故顧之

 

訓読

其れ公と盟する為なり

其れ始めて公と盟する為なり。盟とは生を殺して血を歃り、命に詛ひ、相ひ誓ふるに盟約を以て束とするなり。傳、始を託すを言ふに足らざるは、儀父、宿・勝・薛に比して最も前に在り、獨り儀父の為に始を發し、下の三國の意の見はれざるを嫌ひ、故に之を顧みる。
 
現代語訳
儀父が始めて公と會盟したからである。

始めて公と會盟したからである。盟とは犠牲を殺して、その血を啜り、天命に誓って、互いに誓うことで盟約に拘束力を持たせることである。傳が、(儀父に會盟の)始を託するにもかかわらず、完全な表現をもってしない(為其與公盟也)のは、儀父が宿・勝・薛と比べて一番前にあるため、儀父のためだけに始といい、下の三国の意志が現れなくなることを嫌って、その点を考慮したのである。

 

 

原文

與公盟者衆曷為獨褒乎此
据戎齊侯莒人皆與公盟傳不足託始故復据衆也
 
訓読
公と盟する者は衆し。曷為れぞ獨り此れを褒めんや。

戎・齊侯・莒人、皆公と與に盟するに据る。傳、始を託すに足らず。故に衆に据りて復するなり。

 

現代語訳

公と會盟した者は多い。(にもかかわらず)どうして独り儀父のみを褒めたのか。

戎・齊侯・莒人といった者も皆公と共に會盟している。傳が、表現を完全にして始を託していないため、(會盟した者が)多いことをきっかけとして尋ねたのである。

 

 

原文

因其可褒而褒之

春秋王魯託隠公以為始受命王因儀父先與隠公盟可假以見褒賞之法故云爾

 

訓読

其の褒むる可きに因りて、之を褒める。
『春秋』、魯を王とし、隠公に託して以て始めて受命を為す王とす。儀父が先んじて隠公と盟するに因りて、假りて以て褒賞の法を見はす可し。故に云ふ。
 
現代語訳
褒めるべき原則に因んで、儀父を褒めているのである。

『春秋』は、魯を王とし、隠公に仮託して始めて受命した王とする。儀父が真っ先に隠公と會盟したことに因んで、その事に仮託して褒賞の原則を顯かにしているのである。故に、このように言うのである。

 

 

原文

此其為可褒奈何漸進也

漸者物事之端先見之辭去悪就善曰進譬若隠公受命而王諸侯有倡始先歸之者當進而封之以率其後不言先者亦為所褒者法明當積漸深知聖徳灼然之後乃往不可造次䧟於不義

 

訓読

此れ其れ褒むる可しと為すは奈何。漸進すればなり。
「漸」とは物事の端にして、先んじて見はるの辭なり。悪を去て善に就くを「進」と曰ふ。譬ふるに隠公受命して王たれば、諸侯に始めて倡へ先んじて之に歸る者有らば、進みて之を封じ、以て其の後を率ひしむが若し。「先」を言はざるは、亦褒むる所の法の為なればなり。當に積漸して深く聖徳の灼然たるを知るの後に乃ち往かんとし、造次たらば不義にひるを明らかにす。
 
現代語訳

『春秋』が儀父を褒めるを可とするはどうしてなのか。漸進しているからである。

「漸」とは物事の端緒であり、先んじて現れるという意味の語である。悪を離れて善に移ることを「進」という。例えるに、隠公が受命して王となり、諸侯の中で始めて、首唱して王に帰属する者があれば、進んでこれに封土を加え、(その者を以て)他の諸侯が続くようにするようなものである。「先」と言わないのは、褒める際の義例の為である。ゆっくりと時間をかけて(王の)盛徳の輝く様を深く知り、その後に王の元に往くべきであり、わずかな時間しかかけていなければ、不義に陥ることを明らかにしているのである。

 

 

原文

眜者何地期也

會盟戦皆録地其所期處重期也凡書盟者悪之也為其約誓大甚朋黨深背之生患禍重胥命於蒲善近正是也君大夫盟例日悪不信也此月者隠推譲以立邾婁慕義而来相親信故為小信辭也大信者時柯之盟是也魯稱公者臣子心所欲尊號其君父公者五等之爵最尊王者探臣子心欲尊其君父使得稱公故春秋以臣子書葬者皆稱公于者於也凡以事定地者加于例以地定事者不加于例

 

訓読

眜とは何をか期する地なるや

「會」・「盟」・「戦」は皆其の期する所の地を録す。期を重んじる處なればなり。凡て「盟」を書すは、之悪めばなり。其の約誓大なるも、甚しくも朋黨深く之に背けば、患禍の重き生ずる為なり。蒲に胥命するに善とし、「正に近し」とす、是れなり。君大夫盟すれば、日を例とす。不信を悪めばなり。此の月は、隠 譲を以て立つことを推すも、邾婁 義を慕ひて来、相ひ信に親しむ故に小信の辭と為すなり。大信とは時。柯の盟是れなり。魯「公」を稱するは、臣子の心、其の君父に尊號を欲する所なり。「公」は五等の爵の最も尊きものなれば、王者は臣子の其の君父を尊ばんと欲する心を探し、公を稱するを得せしむ。故に『春秋』は、臣子の以て「葬」を書するに、皆公を稱する。「于」は於なり。凡て事を以て地を定むるは「于」を例に加へ、地を以て事を定むるは「于」を例に加へず。

 

現代語訳

眜とは何を約束した地なのか

「會」・「盟」・「戦」は、いずれも皆、約束した地を記録する。約束を重んじるからである。一般に、「盟」を記録するのは、悪むからである。(というのも)その約束が尊くて大事だといっても、あってはならない事だが、同盟者がこれに背いた場合に、重大な禍が生じるからである。蒲で胥命した場合に、これを善として「正に近い」と書いているのがその証拠である。君・大夫が盟を行えば、例として日を書く。不信を悪むからである。ここで、月を書いているのは、隠公が国を譲る意志を持って即位したにもかかわらず、邾婁がその義を慕って来、互いに信に親しんだから小信と書くのである。大信の場合は時(四季)を記す。柯の盟がこの例である。魯が「公」を稱するのは、臣子が自分の君父に尊号を名乗ってほしいと心に思ったからである。「公」は五等爵の中で最も尊い称号なので、王者は臣子が自分の君父を尊ぶ心を察して、「公」を稱させているのである。故に『春秋』は、臣の立場から「葬」を書くときは、全て「公」を稱させている。「于」は於である。一般に、盟する事を先に約束し、後から場所を決める場合は、「于」を書き、先に場所を決めて、後から盟することを約束した場合は、「于」を書かないのである。