翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『論語注疏』学而篇第三章「子曰巧言令色鮮矣仁」

今回は学而篇の第三章を扱う。

 

<原文>

子曰巧言令色鮮矣仁
<訓読>
子曰く、巧言令色鮮ないかな、仁。
<現代語訳>
孔子先生が言うに「仁者と呼ばれる人に、言葉を巧みにして人に取り入り、自分の顔色を良くして相手を喜ばす者は少ないものだ。」
 
<原文>
包曰巧言好其言語令色善其顔色
<訓読>
包曰く、巧言は其の言語を好くし、令色は其の顔色を善くす。
<現代語訳>
包咸が言うには「「巧言」というのは言葉を曲げて語ることを好むことを指し、「令色」というのは自分の思いと裏腹に自らの顔色を良くすることを指す。
 
<原文>
皆欲令人説
<訓読>
皆人をして説ばしめんと欲す。
<現代語訳>
相手のことを喜ばせようと欲するのである。
 
<原文>
之少能有仁也
<訓読>
之能く仁有ること少なきなり。
<現代語訳>
こういった行いに「仁」が表れることは少ない。」と。
 
<原文>
疏 子曰巧言令色鮮矣仁
 
<原文>
正義曰此章論仁者必直言正色
<訓読>
正義に曰く、此の章仁者は必ず言を直くして、色を正すことを論ず。
<現代語訳>
論語正義』に「此の章は、仁者は必ず言葉に邪な意思が無いようにして、自らの顔色を真に正しくするものであることを論じている。
 
<原文>

其若巧好其言語令善其顔色欲令人説愛之者少能有仁也

<訓読>

其れ其の言語を巧好にし、其の顔色を令善にし、人をして之を説愛させしめんと欲するが若き者は、能く仁有ること少なきなり。

<現代語訳>

巧みに言葉を用い、自分の顔色を相手の好むように善くすることで、人を喜ばせようとするような者が、「仁」という性を帯びていることは少ないものだ。」とある。

 

<補説>

本章で論じられる言葉を巧みにし、腹の立った顔をせずに、相手を喜ばせる人物は一見すると好印象の持てる人物であるが、根本先生はこれを「善と云ふものの偽物である。」と喝破しておられる。真に仁者たる者は腹蔵するものなく人に接する。故に言葉や顔色を取り繕う必要がないのである。