翔べないひよこのブログ

早稲田大学の三年生です。孔子の説く道を志して日々、儒学を学んでいます。専門としては古典中国学と明治漢学者の『論語』解釈になります。

『論語注疏』学而篇第五章「子曰道千乗之國〜」⑤

また少し間が空いてしまいました。今回で第五章の注疏は最後です。

 

<原文>

包曰作事使民至奪農務
<訓読>
「包曰作事使民」から「奪農務」に至るまで。
<現代語訳>
「包曰作事使民」から「奪農務」に至るまで。
 
<原文>
正義曰云作事使民必以其時者謂築都邑城郭也
<訓読>
正義に曰く「事を作し民を使うに必ず其の時を以てす」と云ふは、都邑城郭を築くを謂ふなり。
<現代語訳>
論語正義』によると、「事業を起こし、民を使役するにはその時節をよく選ぶ必要がある。」とあるが、この事業とは都邑・城郭の建築のことを指しているのである。
 
<原文>
以都邑者人之聚也國家之藩衛百姓之保障不固則敗不脩則壊
<訓読>
都邑は人の聚なるを以て、國家の藩衛・百姓の保障にして、固からずんば則ち敗れ、脩めずんば則ち壊れる。
<現代語訳>
都邑は人が大勢集まるところで、国家を防衛し百姓を安寧させる場であるので、堅固でなければ必ず外敵の侵入を防ぐことはできず、修復していなければちょっとしたことで壊れてしまう。
 
<原文>
故雖不臨寇必於農隙備其守禦無妨農務
<訓読>
故に寇に臨まずと雖も、必ず農隙に備え其れを守禦し、農務を妨げる無し。
<現代語訳>
故に外敵と対峙していなくとも、農期以外の時期を見計ってこれを堅固にし、そうすることで農期に駆り出されることもなく、外敵の侵入により生活を追われることもない。
 
<原文>
春秋荘二十九年左氏傳曰凡土功龍見而畢務戒事也
<訓読>
春秋荘二十九年左氏傳に「凡そ土功、龍見えて、務めを畢へ、事を戒めるなり。」と曰ひ、
<現代語訳>
『春秋左氏伝』荘公二十九年に、「凡そ土木の事業を為そうとするには、龍星が現れて今年度の農務が終わり、それまでは土木事業を民に課すことは控えるべきである。」とある。
 
<原文>
註云謂今九月周十一月龍星角亢辰見東方三務始畢戒民以土功事
<訓読>
註に「謂ふところは今の九月、周の十一月に龍星の角・亢、辰に東方に見え、三務始めて畢はる、民を戒むるに土功の事を以てす。」と云ふ。
<現代語訳>
これに対して注釈は「言うこころは、今の九月、周の時代の十一月に龍星という星座の角と亢が辰の時刻に東側に見えると、今年度の農務を終え、次年度の農務の準備をするのである。農期に民に控えさせるのは土木事業に関してである。」と述べている。
 
<原文>
火見而致用注云大火心星次角亢見者致築作之物
<訓読>
「火見えて陽を致す」の注に「大火・心星の角・亢に次て見ゆる者。築作の物を致す。」と云ふ。
<現代語訳>
「火見えて陽を致す」に対する注釈は「大火・心星と呼ばれる星宿の角・亢の次に位置する星のことである。物を建設し作ることを指す。」と述べている。
 
<原文>
水昏正而栽注云謂今十月定星昏而中於是樹板幹而興作
<訓読>
「水昏に正して栽す。」の注に「謂ふところは今の十月に定星昏にして中す。是に於いて板幹を樹てて興作す。」と云ふ。
<現代語訳>
「水昏に正して栽す。」に対する注釈は「言うこころは今の十月に定星が黄昏に南中する。この時期に材木を用意して土木の事業を興すのである。」と述べている。
 
<原文>
曰至而畢注云日南至微陽始動故土功息
<訓読>
「日至て畢はる。」の注に「日南に至て、微陽始めて動く。故に土功息む。」と云ふ。
<現代語訳>
「日至て畢はる。」に対する注釈は「冬至になり夕日の位置が始めて動くと、その年度の農務は終わるのである。」と述べている。
 
<原文>
若其門戸道橋城郭牆塹有所損壊則特随壊時脩之
<訓読>
若し其の門戸・道橋・城郭・牆塹に損壊する所有らば、則ち特に壊時に随ひて之を脩む。
<現代語訳>
もし門戸・道橋・城郭・牆塹(塀と堀)が損壊していたならば、特に損壊した年度内に修復する。
 
<原文>
故僖二十年左傳曰凡啓塞従時是也
<訓読>
故に僖二十年左傳に「凡そ啓・塞は時に従ふ。」と曰ふは、是なり。
<現代語訳>
故に『春秋左氏伝』の僖二十年に「「凡そ啓(門・戸・道・橋)・塞(砦・城郭)の建設は時節に従ふ。」と言うのはこのことである。
 
<原文>
王制云用民之力歳不過三日
<訓読>
王制に「民の力を用ふるは、歳に三日を過ぎず。」と云ふ。
<現代語訳>
『禮記』王制篇に「民の力を使役するのは年に三日を超えてはならない」とある。
 
<原文>

周禮均人職云凡均力政以歳上下豊年則公旬用三日焉中年則公旬用二日焉無年則公旬用一日焉是皆重民之力而不妨奪農務也 

<訓読>

周禮均人職に「凡そ力政を均しくするは、歳を以て上下す。豊年は則ち公は旬に三日を用ふ。中年には則ち公は旬に二日を用ふ。無き年には則ち公は旬に一日を用ふる。」と
云ふは、是皆民の力を重んじて、農務を奪はざることなり。
<現代語訳>
『周禮」均人職篇に「民を使役する政のバランスを取るのは年によって変動する。即ち、豊年だと公は十日に三日の割合で民を使役し、まずまずの収穫年だと十日に二日の割合で民を使役し、凶作の年だと十日に一日の割合で民を使役するのである。」とある。いずれも、民の力を重視して農務の時を奪わないようにしているのである。
 
<補説>
長くなりましたが今回を以て第五章は終わりになります。「千乗の國」についての馬融・
包咸の二氏の説をそれぞれが依拠する経書をも紹介しながら、そして農事に関する戒めを『春秋左氏伝』を引きながら説いています。この箇所の宿星に関する部分は中々何が何を意味しているのかわからなく、間違っている部分もあるかと思います。若しご指摘等ありましたら是非コメント・リプライの方にてお願いします。
次回からは第六章に入ります。